ギリ健、メンヘラな猛毒のブログ

社会不適合者が戯言を吐いているブログです

夜と霧を読んでみて

介護系ブロガーのUN88さんに勧められて読んでみました。URLを貼る許可は得ていないので、ブログの題名を記します。「孤高の底辺。うんこ拭き(介護福祉士)おじさんの戯言ブログ」です。介護士をやっている方なら共感出来る事が盛りだくさんです!介護士の方は是非読んでみて下さい!心優しいお方です。

そのUN88さんにコメントでこの本を教えて貰いました。彼曰く、「読むドラッグ」との事でますます興味を持ちましたので、実際に購入して読みました。中々の良書だと思ったので、紹介&感想を載せたいと思います。※ネタバレが多く含まれています。ご注意下さい。

この本は著者のヴィクトール・E・フランクル氏がナチス強制収容所に入れられていた時の体験を元に書かれた本です。と言ってもこういう本にありがちな悲惨な生活を綴るといったものではありません。陰惨な描写もあるのですが、この本でスポットを当てている点は、そこで暮らす人々の心理的反応、精神状態についてです。著者が心理学者である為、その点から語られています。学術的観点から見る、強制収容所は読み応えがありました。その一方で専門家でもある著者が語っているので、専門用語、難解な語彙、例えが多く、読みづらさも感じました。なので一般人の私はとっつきにくさもありました。著者の意図を完全に読みきれていない点もあると思います。それでも私なりに考察してみました。

カポーの脅威

この本の掴みの部分で「カポー」について語られています。カポーは聞き慣れない語彙だと思います。簡単に説明すると、カポーは囚人でありながら、ナチス親衛隊(SS)と同等とも言える程の権力を持った人々の事を指します。親衛隊つまり看守の横暴はよく知られていると思います。最近のニュースでも、元親衛隊の裁判等が話題になっていて、広く認知されていると思います。しかしカポーはあまり知られていないと思います。私もこの本でその存在を初めて知りました。著者は親衛隊も生殺与奪の権を握っているが、実際はカポー達の方が脅威であったことも語られています。カポーの気分一つで作業内容や食事の内容といった処遇面での扱いが決まっていたとのことです。現場では如何にカポーに取り入るかが、生存に繋がる事を何度も語っています。カポーに関するエピソードは凄く多いです。カポーを心理的な面で見るとサディスティックな面を持ち合わせた人格の人が選ばれやすいとの事です。サディストかつ取り入る能力の高い人が強制収容所から選ばれていました。この本を読む上でカポーの存在は重要だと思ったので紹介しました。

強制収容所での収容者の心理変化について

この部分を読み取るのは本当に苦労しました。前述の通り、難解な表現が多く、頭の中で語彙を受け入れやすいように噛み砕く作業が大変でした。私の理解した範囲で簡単に語るとショック反応→感情の消滅、鈍麻→いらだち→精神的自由を得るといった流れだと思いました。第一段階のショック反応は、現実感が乏しい故の強制収容所に対する楽観的な考え、恩赦妄想が語られています。前者は分かりやすいと思います。知らないが故の楽観的考えは誰にでもある事だと思います。恩赦妄想が難しいと思います。恩赦妄想とは何の根拠もないが直前になって解放されるといった考えの類いのことです。現実逃避的とも言えます。日本でこの心理が語られる事例は死刑囚が多いと思います。死刑囚も精神的に追い詰められるにあたって、自分は無罪だ、冤罪だと信じ込み、再審請求をしたり、本気で減刑されると語り出すといった事があります。日本ではこの様な強制収容所の事例が少なく(あることにはある。ハンセン病の治療施設等)、著書で語られている心理変化が分かりにくいと思われます。なので強制的に収監されている人の心理を知りたいのであれば、日本なら死刑囚の事例を調べると良いです。私の悪趣味の一つに犯罪者について調べる事があります。私は死刑囚の事例を知っていたので、それに当てはめて本を読み進めていきました。

話が逸れました、第二段階の感情の消滅、鈍麻があります。これは鬱病のそれとは違います。プラスの感情も沸かなければ、マイナスの感情も沸かない、いわゆる認知症アパシー(無気力)に近いです。心を守る為に、目の前で残虐な行為を目にしても何の感情も起きなくなるといった、心が無意識にする防衛です。仲間が酷い目に合っているのに、ただぼんやりと見ているという事が起きます。冷酷とかそういうことではないです。

第三段階のいらだちは肉体的、精神的疲労から来る疲れにいらだつとありますが、それとは別に人としての人権意識が湧いてくるとのことです。体や心はボロボロでも人としての活気が出てくる前兆だと読み取りました。

第四段階の精神的自由は、ある種の卓越した高次の次元の思想といった方が良いです。末期癌患者の悟りきった状態、死刑囚が文学や芸術の能力を開花させて、素晴らしい作品を生み出すといったことに近いと思います。この精神状態になる人は一部の人のみで、大多数は第一段階、第二段階でつまづき、拘禁症になることが読み取れました。著者は誰にでもこの精神状態になる事が出来ると語っていますが、私は拘禁症になって、電気柵に飛び込んだり、板のベッドである日、死体と化している方になっているなと思いました。この精神状態になった人の無敵感は凄いです。人の精神的自由はどんな事でも奪う事が出来ないとありますが、正にその通りだと思いました。人の生きる能力の強さに感銘を受けました。

この本で語られている生き方について

この本の真骨頂は後半の部分です。物事の捉え方や生き方への指針が的を得ており、時代を超えて愛読されている理由が分かりました。自己啓発本にある薄っぺらいポジティブ思考とは違います。私のこの本での好きな表現を挙げたいと思います。「人間の苦悩は気体の塊のようなもの、ある空間に注入された一定量の気体のようなものだ。」です。私はこの表現にたいへん共感しました。精神疾患を患っている方だと分かると思うのですが、些細な負の感情があっという間に頭全体に回って苦しくなることがあると思います。不安は特にそうです。私もよくあります。この人間の苦悩を気体に例える表現は、お気に入りです。それに加えて著者は、幸福な気持ちも些細なものでも同じように広がっていく事を語っておられています。ここの捉え方に私達の生き方のコツがあるのではと思いました。また著者の好きな主張の一つに全ての人生にはそれぞれの価値があるというという事です。人がなかなか経験しえない事を経験した人生も、逆に何も経験しない人生にもそれぞれ違った価値がある事を語っています。昨今何かと有産性のある人生を送る事が至高であることが言われていますが、それをやんわりと否定する姿勢には好感が持てました。どんな人生にも価値があるって言える事は素晴らしい事だと思います。この考え方に救われる方もいると思います。

著者は人間は目的を持って生きる事が大切だと語られています。ここまでは自己啓発本にも書いてあります。自己啓発本との違いは目的の種類について触れられているところです。目的でも希望的観測に基づいたものは長続きせず、逆に人生に失望を招いてしまう事が言われています。この本で事例として挙げられているのがクリスマスの収容者の大量死です。生活そのものが劣悪だったのは言うまでもないですが、クリスマスの時期だけが特に酷かったわけではないそうです。なのにクリスマスの時期に死者が増えた理由として、著者はみんな辛くても、クリスマスまでには家に帰れるだろうと思っていたのが裏切られて、心理的ショックを受けたからなのではと考察していました。クリスマスまでには帰れるは確かに何の根拠もない目的です。対して生き残る事が出来た仲間達は生きて家族の安否を確かめたい、残っている仕事をこなしたい等、具体的な目的を持った方でした。目的の具体性が生死を分けたと言っても過言ではなさそうです。私は人生に目標がなく、持ったとしても希望的観測、現実逃避が多いので耳が痛い話でした。

総評

最初は強制収容所の悲惨な体験を描いただけのものかと思いましたが、そこだけに止まらない本書は素晴らしいものでした。心理学者であり、収容者であった著者にしか、記す事が出来ない唯一無二のものでした。仲間達とのやり取りもロードムービーのような感じがあり、解放されたところを読んだ時、何だかほっとした感覚がありました。読み手の心に刺さる内容で、読み応えがありました。色々と考えさせられました。UN88さんの言う通り、本書は正に「読むドラッグ」です。一度読んでみても損はないと思います。読んだことのない方は是非読んでみて下さい!