小学校での薬物混入事件を起こしてクビになった宅間はすっかり気力をなくしてしまいました。また3番目の妻Iとの裁判、他の警察沙汰での裁判など様々な事が重なり、宅間曰く「エネルギーが落ちた」事で激鬱状態になっていました。
宅間特有の希望的観測に基づいた司法書士や宅建になる事も頓挫して、何もかもが行き詰まっていました。38歳になり、今まで若さでゴリ押していた事も通らなくなったのもあると思います。あれだけエネルギッシュで欲に溢れていた宅間が食事は1日の食事がカロリーメイト一箱、バナナだけで生活しており、家に女性を呼んでも性行為すら出来ませんでした。
宅間は絶望の中、自死を考えて、部屋の梁にネクタイを掛けて首吊りを決行しています。椅子を蹴り、吊った時に苦しさの中、宅間はある事を思います。「無性に腹が立ってきて、何で俺がこんな思いせにゃあかん、俺だけ死ななあかんねん、いう無性にそのときだけファイトが出てきて」と。
私は自死を何度も試みている人間なのでこの気持ちはとても分かります。今から述べる事は世間では狂人と言われる思想になるかと思います。自死を考える人もこの思想の人はそうそういないと思います。私や宅間のような一部の人の頭のおかしい考えもしれません。でも語ります。この考えこそが世間でいう所の無敵の人の深層心理なのではないかと思うので。
私の超個人的な考えでは自死と殺人は近い関係だと思っています。意識が自分に向くか、相手に向かうかの違いで殺すということは同じです。どちらか一方にスイッチが入り、(大概の人は自分の方、つまり自死)ですが、稀に外にも向く人がいます。大量殺人犯やシリアルキラーに犯行後に自死する例がかなりあります。分かりやすい例では銃乱射ですね。犯行後はだいたい、その場で自死するか、警察に射殺されます。海外では相手を巻き込んだ後に自分も死ぬ事を拡大自殺と言い、心理学の1つとして扱われています。
私はこのスイッチがON(殺人)OFF(自死)と考えています。この両方がある人が存在していると思います。つまり場合によってどちらにも動く人がいる事です。
私がこの両方のスイッチが出来たのは高校生の時です。ひたすら自分ばかり責めて自死を決行して、案の定苦しみを覚えた時にそれは突然来ました。「あいつらを◯せば良い、世の奴らのせいだ、それからでも遅くない」と。
本当になんの脈絡もなく思いました。頭の中が死ぬことしかなかった中で脳が極限の状態になっていたのだと思います。それで導き出したのがその答えでした。
今も頭の片隅にあります。どうせ死ぬならと。私はスイッチを上手く抑える事で何とか生きることへと繋がっています。この私が呼ぶスイッチ現象が当時の宅間にはあったと思います。
宅間は人を殺すことを考えた時に急に食欲が増し、カレーライスをペロリと食べたそうです。宅間は「殺したろうと思って。それを想像したらモリモリーと食欲出てきてね」と言っていました。重い鬱状態の中、判断力も鈍り、かつ衝動的な宅間は完全にそちらに傾いた様です。
それでも人を殺すことに宅間も抵抗があったのか、同僚であった友人に相談したり、父親に電話したり、出会った女性に悩み事を話したりとしていました。反社会性人格障害いわゆるサイコパスでも人を殺すのはかなりの労力です。映画の様に笑いながら躊躇いなくなんて事はありません。他の大量殺人犯やシリアルキラーも最初の犯行まではかなりの時間を要したり、葛藤したり、犯罪を犯しても次の犯行まで時間を空けることがあります。それほど人を殺す事は重いと思います。
宅間が確実にスイッチが入ったのは自分の住むアパートで花に水やりをしているおばさんを見ていた時に「殺したいなあ」と思ったときだそうです。ここで完全に犯行を決意しました。
附属池田小事件
2001年6月8日、この日に宅間は朝の7時、8時に目が覚めました。朝食は摂りませんでした。9時半に家を出るときに、気に食わない大家に復讐もかねて布団の上に火のついた煙草を置いて行きました。火事になっても後で不始末だったと言い訳できるし、どうせ死刑になるからと混合した考えだったと言います。言い訳できるようにガソリンを撒くような確実な事はしなかったそうです。
その後金物屋に寄って「頑丈なやつ」と店の主人に伝えて、出刃包丁を買っています。その後カーナビに附属池田小への道案内を入れて、セドリックで出発しました。車を運転しながらテンションを高める為に「お前もブスブスやるぞ、はねたろうか」と思い、遅い車にはクラクションを鳴らして行きました。
宅間は自分の犯行を正当化するのにこう思ったそうです。「よく考えると僕死んどったんじゃないか。たまたま助かっただけやないか」と。病院での五階での飛び降りを経験した宅間はそう思いました。どうせおまけ程度の人生だと。
学校に着いた宅間はビニール袋に包丁を入れて、コソコソと入ることもなく、堂々と入りました。途中学校の先生に会いましたが、スーツを着ていたこともあり、会釈されただけで怪しまれもしませんでした。
学校に入ると何の警戒心もなく1人の女の子が宅間に近寄ってきたそうです。キョトンとしていた女の子に宅間は躊躇なく包丁を突き立てました。宅間は「躊躇もくそもなかったです」「もう終わりやな」と思ったそうです。
犯行中一切の音が聞こえなかったそうです。ただひたすら手当たり次第刺して回りました。宅間自身も誰をどの順番でどの様に刺したか覚えていないと語っています。記憶が途切れ途切れでした。宅間は「国家の命令で戦争してるような感じ。自分が悪いんと違うて。戦争は国の命令やから、冷静に皆戦ってるでしょう。ああいう」と語り、ただの緊張とは違う独特な、普通の生活を送る上では間違いなくない精神状態で犯行に行っていた事が明らかになっています。文献を読んでて思いましたが、この一連の流れはただただリアルでした。冷静であり興奮状態でもある、なんとも言えない感覚は犯行を犯したものにしか分からない心理だと思います。
凶行は10数分にも及びました。教師も複数人で押さえ込もうとしましたが、巨体の宅間を押さえるのに手こずり、刺されました。途中宅間自身がこれぐらいで良いだろと思い、素直に取り押さえられました。
死者8名、負傷者15名という日本の犯罪史上例を見ない犯行となりました。
逮捕後、死刑執行まで
逮捕直後の宅間は「薬を10回分飲んだ、しんどい、駅前で100人くらい刺した」と虚言を吐きましたが、嘘がバレると素直に取り調べに応じました。ただこれに関しては詐病というよりかは犯行を犯して物凄く体がしんどくて休ませてほしいという目的だったそうです。精神鑑定でも暴言も吐かず素直に応じて、時折り笑顔も交えながら話しました。精神科医もやや弛緩したような、覇気のない感じがするが、素直に答えていると評価していました。
獄中での宅間は生き生きとしているように見えました。本人が語るに、「部屋に匿われて、上げ膳据え膳で生活できたら良かった」と語るように宅間に必要だったのは、心の安定だったのかもしれません。宅間は死刑になることもそうでしたが、何処かで保護されたい理由もありました。
ホームレスが年末になると些細な犯罪をして、刑務所で正月を迎える事を考えて、実行することがありますが、宅間はそれに近いかもしれません。ただ大量殺人という最悪の結果でしたが。
死刑が確定してから、特に問題ごとは起こしませんでした。文通していた支持者の女性と獄中結婚をして、吉岡という性に変わりました。宅間は一審で死刑が確定すると弁護士の控訴を自ら取り下げて確定しました。2003年9月26日に確定して、2004年9月14日に死刑が執行されました。40歳でした。1年もせずに死刑執行は栃木雑貨商一家殺害事件の菊池正に次いで2番目と戦後では異例の早さでした。
宅間は最後にタバコとリンゴジュースを所望し、ゆっくり味わった後、刑場の露と消えました。最後に刑務官に「妻に僕がありがとうと言っていたと伝えて下さい」と言葉を残しました。ちなみに宅間が日頃吸っていたタバコがロングピース(金ピース)で最後に吸えたか分かりませんが、死ぬ前のタバコの味はどうだったのか気になります。
私も金ピース愛用者です。重いタバコですけれども、かなり美味しいです。風味や味がとても濃厚です。
総評〜記事を書いてみて〜
6つの記事に渡って長々と書きました。最後まで読んで頂いた読者の方々には感謝しかありません。ありがとうございました。宅間守の記事についてはいつか必ず公表したい、私の人生において多大な影響を与えたものなので形にしたいと思っていたので、私としては残す事が出来て良かったです。宅間は世間では凶悪犯罪者で非難轟々ですが、私は宅間の考えや生き方に救われた面もあります。よく言われる他責思考はそうです。他責思考は何かと嫌われますが、生きていく上では人を責めることも自分が生きていく糧になると思います。特に自分が無能だったり、人から認められない人ほど、自分で自分を褒めて、周りの目を気にしないようになるしかないと私は特に思います。
社会や他人は自分の事などどうでもよいとしか思っていないのだから、こちらも好き勝手生きてやると思ってやりたいです。普通に生きて報われない属性の人ほど普通の価値観に囚われない方が幸せに生きていけると思うのです。
今でこそこの事件は風化してしまいましたが、私が高校生の時は不謹慎ですが、宅間イズムなるものがあり、宅間守に同感する書き込みもありました。宅間の生き様は社会の底辺に生きる人々にとって支えになっていた部分もあると思います。
宅間は本人の洞察どうり、社会での普通の生活は難しかったと思います。宅間も学校へ通ったり、働いていますが、どれも上手くいきませんでした。挫折ばかり重ねて、心の闇を深めてしまったように思えます。宅間は精神障害者保健福祉手帳2級を取って、障害年金を貰っていますが、月12万程度ではどうにもならなかったようです。これでは部屋に囲われて上げ膳据え膳は厳しいですね。これでは生活するのがギリギリです。
どこかのドキュメンタリー番組で見たのですが、宅間は前頭葉の血流が通ってなく、働きが鈍くて、脳に障害があった事が分かっています。反社会性人格障害の典型的な物です。比較対象としてアメリカのシリアルキラー、ジョエル・リフキン(1989年〜1993年にかけて売春婦の女性を17人殺害した)が同じ兆候があるとして上げられていました。どう足掻いても社会でやっていくことは無理だったのかもしれません。それでも噛み合わせが良ければ上手く行った可能性もあると思います。
実際に反社会性人格障害の人は人口の1%はいて、100人に1人はいる計算です。皆が凶悪犯罪を犯して末路を辿るわけではないです。宅間にも恵まれた妻や職場がありました。結果論で後からどうこういうのが好きではないですがチャンスはあったように思いました。
あと語りですが宅間の例のコピペの発言は半分本当で半分嘘かと思われます。実際死刑判決が言い渡される時は「今まで我慢してたから言わせてくれ、メモ3枚程や」と言い、遺族の1人を「血ぃつながってへんやろ、こら、なんとか言えや」と言い、退廷になったのが正しいと思われます。
それでも各公判では「貧乏たれの人生ならこのパターンの方が良かった」と等の発言はしているのでおそらく繋ぎ合わせているものかと思います。
いずれにせよ、傍若無人の発言はしています。今から紹介するこの発言は宅間がおそらく言ったであろう物なので紹介します。私のグダグダした物より端的かと思います。宅間守という波瀾万丈に満ちた人物の言葉で終わります。以下引用。
最後の公の場となる法廷で是非を言いたいことがあった。
それを弁護士が、裁判長にたのんだが聞き入れられず、直接交渉するに及んだ、
「何や法衣、 着てえらそぶりやがって」という気持ちが強く、
今までの後半では、検察の パフォーマンス通り、遺族にはボロンチョンに言われたりして、
まあプスプス 刺し殺したのはワシやから辛抱しといたろという気持ちがあり、
おとなしく していたが、最後には、言いたい事をいわせてもらおうと裁判長に食い下がった のである。
そして「退廷」と言われた。その瞬間「これで楽出来る」と思った。
裁判所の房に還って、寝転がっていられるからだ。
と同時に、看守に連行される数秒の間に一番言いたかった事を傍聴席に浴びせてやろうと思った。
まあ、結果オーライではなかったかなと自分では思う。
法廷やから判事やから一日おいたりせえへんでぞというワシのスタンスにも合致して、あれは、あれでよかったとおもう。
次に死ぬ事は怖くないとの事だが、正直、一番のワシにとっての快楽だと思う。
そりゃ、天神川の大ケガがなく、安定した又は、自営業でも、利は薄くとも安定した職でもあり、
ベッピンの嫁はんでもいたら、私特有の不快な思いをしながらも生きて、むしろ普通の人間よりも死なないように、
バイクの乗るのをやめたり、他出来るだけ不慮の事故で死なないように気をつけて生きていたのではないかな。
しかし、大ケガの後遺症、シャバにいるやつ(数十人)への恨みから、早くおさらばしたい気持ちで一杯です。
今度(よた話になるが)生まれてきたら、金持ちのボンボンで、中の上の知能で3流私立医大へ行き、
内科医になって、トラブルで殺されたりしないよう気をつけて、ベッピンの女と◯◯◯◯をしまくりたい。
まあ今生でも◯◯◯◯はしまくったが・・・・・・
死ぬ事は全く恐くありません、まあ、どう解放されてもいいが。
年間3万数千人、自殺するんですよ「ホンマは、宅間、死ぬのんびびっとるで」という人がいるとは思うが、
そしたら年間3万数千人の自殺は何なのだ。
あんまりワシに憎まれ口を叩くな。人の一生なんて、偶然的な心臓の連続鼓動でしかない、
人間なんか、いつ死ぬか解らんし、プツーと刺されたり、ちょっと殴られただけでも死ぬときもある。
これでよかったのだ。これで、私は、生まれて来たのが間違いだったのだ。
しかし、宝くじ3億当たっとたら、今回のブスブス事件は起こしてないよ。
やはり金なのかな、イライラカリカリしていても、
温泉につかり、マッサージされて、美人に酌でもしてもらったら少しはおだやかになれるだろう。
やはり、皆が言うように金だな、世の中は金、世の中は金。金があれば美人の嫁も買える。
犯罪者諸君は思っているのでないか、「宅間はバカだな、あんな事するんだったら、大口のタタキ5回出来るぜ」と、
しかし、強盗君よ、「おまえらとワシは価値観が違うのだ、成功すれば一億失敗すれば10年、ワシはそのリスクは困ります」
話変わりますが、あんな親から出来ていたら、こうなりまっせと言いたい。
ワシが悪いんじゃない、全て親が悪いのだ。その親の家のガラスが一枚も割れていないとは、ワシには理解できません。
ジロジロ見る奴、わざとイヤキチする奴、もううんざりです。
私は、ヘビースモーカーでね、焼き鳥に生ビールぐいもしたいけど、ロングピースをおもいっきり吸い込んでみたいね。
まあ、よほどへそ曲がりな看守じゃない限り死刑執行の前日はタバコを吸わせてくれると思うけど。
遺族は、国から7500万もらってホクホクですな。
よろしいな、自分の子供に保険金かけて、殺す親もいるのだから、
転り込んだ7500万円よろしいな、
もうワシは後、確定するだけです、そして執行。
6ヶ月以内に執行されるない恐れがある場合は、刑訴法475条をたてに法務大臣を訴えるつもりです。
遺族が「早急に執行を」とする記事を読みましたが、願ったりかなったりです、
遺族も法務省に何らかの圧力をかければいいのです。
私は死にたい、うんぬんよりも、悔しいこと、無念な事、出来なかった事、やられた事、だまされた事、
お腹の赤ちゃんを殺されたこと、等々、不快な思い、辛い境遇をシャットアウトしたいのです。
不快な思いから逃げたいのです。いや逃げたいというか、もう恨みつのりの人生をうんだのです。
後は看守に嫌われんように仲良くして、吊るされるのを待つだけです。
それと遺族は「私に死ね死刑!!」といっているが、一体自分達は何百年生きるつもりなのだ、
遺族も後、正味、20年から30年でしょうが、ワシが、一年以内に死んでも、20年、30年あっという間なのに、
何を「死ね死ね」と死が、特別の何というか、死を過大に評価しすぎていると思う。
人生は、人にもよるが、60年、後は感覚も快楽感も鈍り、頭の回転がひたすら悪くなり、
現実的な死は70だ、女は現実的死は閉径だ。
湯川なんとやらという歌手の歌で「人生半分50で始まる・・・」とあるが、バカか、
50やったら人生の7分か8分か過ぎているではないか、100まで生きる人間もいるが、
60から感性も体力もよぼよぼで、70以後は、ただ惰性で大なり小なりボケて、臭い口臭をハーハーやりながら老害をまきちらして生きているだけではないか、
追伸
人生は昔も今も50だ。よく覚えとけ。